2006年 07月 01日
私のヒーロー!
先日、うちの主人が教会の友人から『スパイダーマン』のDVDをⅠとⅡセットで借りてきた。
私も前々からこの映画は観たいな~と思っていたから、とても楽しみにしていた。 しかし、うちの主人と私の観方には違いがあり、それでいつも私は二度観をすることが多い…。 主人はフツーに晩御飯を食べながらとか、仕事をしながらとか、映画を観ても内容をしっかり理解し楽しむことが出来るらしい。 私の場合、それが出来ないのだ…。 って言うか、特に興味がある映画に関しては、すべてのことをやり終えてから(例えば食事や家事、お風呂、ディボーション?)じゃないと、心を落ち着けて集中して映画を観ることが出来ない。 ホントは私のような人間は、家庭で観るDVDよりも映画館でゆっくりじっくり雰囲気も含めて観たい派だから、そうしたいのだが先立つモノが…。。。 まぁそんなワケで今回も食事をしながら途中まで一緒に観ていたのだが、私は結局別の日に時間を取って、一人でじっくり観たのであった。 いやぁ~なかなかおもしろかった♪ 最初はあのスパイダーマンの衣装や動きが気持ち悪かったけど、だんだん観ていくうちにそれがすごく魅力的に映ってきたから不思議。。。 あと、ピーター役のトビー・マグワイアがなかなか良かった。 何が良かったって見た目で判断してはいけないけど、あのメガネをかけている顔が私は好きだ! 他の人から見れば「ダサイ!」と言われるだろうが、私は昔からメガネをかけている人に魅力を感じるほうなのだ。(そうそう、うちの主人もメガネ君だしね♪) そんなところから思い出したのだが、私のメガネ好きが始まったのは子どもの頃に観た『スーパーマン』の影響だと…。 『スパイダーマン』と『スーパーマン』、同じヒーローモノの映画であるから、DVDを観ている時からその記憶がオーバーラップしてきた。 『スーパーマン』で主演していたクリストファー・リーブは今は亡き人物であるが、私は子ども心ながら彼を映画で初めて見た時に「なんてステキな方なの!」と胸がドキドキした思い出がある。 今思えば、きっと父親という存在に憧れていた気持ちが、スーパーマンのガッチリした体格や、弱い人や困っている人を助け、悪者に対して勇敢に戦う姿に心が惹かれていったのかも知れない…。 あとスーパーマンが普段、まわりの人から知られないように生活している時のちょっとドジで弱々しくも、優しく笑うあのメガネ顔が大好きになったのだ。→→ あ~~~~~思い出してきた! 今度は絶対に『スーパーマン』を観ようっと!! かなり話が脱線(?)したが、今回この『スパイダーマン』を観てとても印象に残った場面があった。 それはピーターがスパイダーマンとしての人生の責任の重さに苦しくなり、それを一度放棄した後、お世話になっていた叔母さんのもとに訪れた時のシーン。 近所の子どもの将来の夢がスパイダーマンみたいになることを聞いたピーターに対して、叔母さんが語った言葉…(たぶんこんな内容のこと)。 「子ども達にはいつの時代もヒーローが必要なんだよ…。」 これを聞いた時、私も「そう!そう!」とかなり共感した。 その時、ぱっと頭に浮かんできたのはJESUSだった。 「そうだ!本当のヒーローはイエス様なんだ。それって超うれし~♪」と一人で喜んでいた。 なぜなら、最近の私は『イエスは友』ということについて、今更ながらそれをどうやっても理解出来ずにもんもんとしていたのだ…。 私の中では過去の傷のせいか、『友』のイメージはあまり良くないのだ。 それでも私には素晴らしい友がたくさん与えられ、今までも愛され支えられてきたから感謝している。 だから決して今いる友人たちを否定するワケではないのだが、私の中ではこれまで多くの友人達(特に女性)との色んなトラブルがあり、お互いに傷を与え受け、離れていった友人が多いからか痛みと不安があるのかも…。 そんなワケで『友』=(いつかは離れていくもの。本当の意味では理解し合えないもの。)というイメージだから、JESUS(イエス様)がそんな存在であって欲しくない!という私の強い願望がそのように表れているのかも…。 まぁ、この領域にも癒しが必要だ。。。 ともかく、そんな状態だったから今の私にとって『イエスはヒーロー』という言葉、位置づけがかなり強くフィットし、嬉しくなったのだ! だって、ヒーローは絶対負けないし、裏切らないし、人の弱さもそのまま受け入れて助けてくれるし、それに離れないし…。 そう、スパイダーマンも言ってたっけ…「ボクはキミのいつも側にいるよ」と(^0^)/ まさしくJESUSはヒーローそのもの!! ヒーローは子どもだけでなく、大人になっても必要だ。 ありがとう私のヒーロー、イエス様!! 『しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。 キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。 また、このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。』 ヘブル7:24~26
by pcfullife
| 2006-07-01 18:17
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